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2005年01月18日

●阪神淡路大震災から10年

もう10年も経ったんですねー。まだあの頃は京都にいたし結構揺れたし、知人も神戸とか尼崎に居たし随分心配もしました。
亡くなられた方に謹んでお悔やみ申し上げると共に今現在も精神的な苦痛を伴っている方の心中お察し申し上げます。
実はあの大地震の前に不思議な体験をしました。
自分は子供の頃ちょっと勘が鋭くて、何か悪いことが起こる前にやけに胸騒ぎがして実際地震とかも(小さい規模の奴でしたが)予知していました。

阪神淡路大震災の3、4日前からでしょうか? その頃は1ルームマンションに住んでたんですが玄関のドアを眼の隅に捉えると縦に青白い光が上下に走るのが見えたんですよ。
あれ? なんやろ? と正面から見ると見えない。でもまたテレビとか見てて眼の隅で捉えると淡く電光みたいなのが走ると。
それが地震前日くらいまで続いたでしょうか? 最近はないですけど昔は結構金縛りとかに遭ってたんで「ややなぁ~、気味悪いなぁ~」とかくらいしか感じてなかったですけど。
で地震発生当日です。たまたまその週は日直で朝早く出かけなければならなかったんですが、それでも不思議にいつもより早く目が覚めました。確か地震が起こる30分ほど前にふと目覚めました。トイレでもなくなんとなくです。普段は目覚ましが鳴ってもなかなか起きないのに…。まだ出勤まで時間がかなりあったので布団の中でダラダラしてました。
そしたらあの大地震です。京都でもかなり揺れました。両手両足で踏ん張りましたけどかなりな横揺れでどうにもなりませんでした。長かったです。こりゃやばい!とマジで恐怖しました。
ようやく長い揺れも治まりふと周りをみると本棚の上の方に置いていた小さめのスピーカーが転がってました。あと10センチほどずれてたら頭直撃コースでした。
幸いたいした怪我もなくテレビをつけるとまだよく状況が分からない状態でした。薄暗い中をビルが横倒しになっている画面やらあちこちから火の手が上がってるようでした。
心配になり香川の両親宅や友人に電話しましたがかなり繋がりにくい状況でした。
何とか無事を確認して外の様子を見ようとエレベーターに行くと階の途中で止まってる様子。
仕方なく階段で下に下りたら住人が3人程同じように様子見をしてました。幸い周囲に被害やら火災が起こっている状況もなくお互いに気をつけてなと言葉をかわしてひとまず自室へ。
テレビを見てると刻々と被害の深刻な状況が映し出されます。これはかなりやばいんじゃないかと気になりましたが出勤時間なんで仕方なく会社へ。
会社でもプリンターが台からずれてたり額に入れたポスターが宙にぶら下がってたりしてましたがパソコンも無事で幸いたいした被害もないようすでした。
仕事しながらラジオを聞いてると続々と悲惨な様子が流れてきました。神戸にいる友達は大丈夫やろか? かなり心配でしたが後日無事と判明してホッとしました(家はかなり被害を被ったそうです)
未曾有の大地震。まさか関西圏は大丈夫と高をくくってたんでかなりショックでした。もし京都があの時の神戸やったら?! 今頃自分はこうしてブログ書いてないでしょうね…。
仕事を終えてマンションに帰宅。ん? 鍵が回らない? なんか引っかかってる見たいな感じ。ドア全体をグッと上に押し上げるようにするとようやく鍵が回りました。よく見るとドア周辺の壁に細い亀裂が…。あの地震前にみた淡い電光はこれの予兆だったのか? 地震そのものの予兆だったのかもしれません。

コメント

あの時はまだ学生でした…だれだ?計算が合わないって奴は。
Y口県のほうで卒論の仕上げを徹夜でしておったわけですが、研究室のある校舎がまるで船のように長時間揺れたのを覚えております。
まさか神戸であんなことになってるとは思いませんでした…

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